(寄稿)酒菜(さかな)への恋文 第一回 『回遊』 濱田 毅

(著者プロフィ―ル)
濱田 毅(ハマダ・タケシ)1956年大洲市長浜生れ。
袿晴安緝充萃役。ホームページで発表した「父のハーモニカ」がエッセイコンクールで佳作を受賞、『もう一度あなたに会いたい』(愛知出版)に掲載される。2003年『とらふぐのなみだ』、2004年『とらふぐの夢』(いずれも文芸社)を刊行。
濱屋ホームページアドレス
http://www.rakuten.co.jp/ehime-hamaya/


 秋気澄み、旅をするには、いい季節になってきた。ぷいっと日常を離れ、ぶらっとひとり旅。見知らぬ土地を巡遊するだけで、単調な日々の暮らしに、どれほどの潤いをもたらすことか。想像するだけで、新しい生気がみなぎってくるが、腰を上げるには、なかなか時間がかかる。ああ、魚がうらやましい。つい回遊のことを思ってしまうのだ。
 魚が群れをなして、遠距離を移動することを回遊というが、いろいろな目的がある。温度の変化にあわせて、適温を求めて移動する「季節回遊」、これは、避暑地の別荘で優雅な時間を過ごす人たちのことを思いうらやんでしまう。「索餌(さくじ)回遊」とは、エサを求めて移動することだが、旅回り芸人の地方巡演に似て魅力を感じる。産卵場所を求めて移動する「産卵回遊」には、本能的に引き継がれてきた生物の英知をまざまぜと示され感服してしまう。
 親魚が大潮の満潮時を選んで産卵するのは、卵を外敵から守るため、孵化(ふか)した卵が旅立つのにも、潮の干潮をきちんと計算している。とらふぐも生息地と産卵場所をちゃんとみきわめていて、日本海なら富山湾、瀬戸内海なら北東の地のはてで恋の成果が現れる。いずれの回遊にも、それなりの苦労が十分察知でき、日常を離れた回遊に、気ままな旅を重ねてしまうとは、魚たちに言語道断だと叱られてしまいそうだが、つい夢のクルージングを思い描いてしまう。
 ところで、写真の左手にのっているのは、ハリセンボン。体の表面にうろこが変化した針をたくさん持っている。ふだんはこの針を寝かせているが、敵が近づくと体をふくらませ針立たせ、相手を威嚇するとともに、食べられないよう身を守っている。
 数年前この沿岸で、ハリセンボンが大量に打ち上げられた。秋から冬にかけてのこの現象は、南から黒潮に運ばれてきた幼魚が、海水温の変化により弱ってしまい、北西の季節風でここまできたものらしい。「死滅回遊」といわれるもので、このふぐの大量死には、気が滅入ってしまう。何よりこの言葉の悲しい響きは、どうにかならないものかと思ってしまうが、「死滅回遊」も、あながち無駄ではないようである。
 魚に限らず、生物は種の分布域を広げるために、広い範囲にわたって子孫を残そうという本能を持っている。動けぬ植物でさえ、種子を風や鳥などに運ばせて、その目的を達成しようとするが、生育に適さない環境に運ばれたりして無駄に終わる場合が多い。いわゆる「無効散布」と呼ばれ、死滅回遊もその一種である。
 なぜ、こんなむなしい無駄が行われ続けるのか? 創造主はそれもちゃんと計算している。環境は長い年月をかけ変化し続けていて、ある時期は無効な散布、死滅回遊に終わったとしても、地球の気温や水温の変化で、かつては棲息できなかった地域に、新しい種族が進出できる機会が生まれる可能性は十分にある。実際多くの生物は、そうやって生息域を広げていった。だとすれば、ハリセンボンのこの地への回遊も、決して無駄でなかったのではないか。いつかハリセンボンが目の前の海に定住するようになると思うと、うきうきしてくる。この魚の泳ぐ姿を見ているだけで、心が癒されるし、手のひらにのせ、にっこり笑いエールを送りたくなってしまうのだ。
 とにかく、旅する気持ちは忘れたくない。時間がとれなくて、体の移動ができなくても、くじらが洋上をゆうゆうと遊弋(ゆうよく)する絵を思い浮かべながら、思考の彷徨だけでも楽しみたいと思ってしまう。無駄な回遊などひとつもないことは、ほらもう立証済みである。手の平の上のハリセンボンを見ながら、今日はどこへ回遊しようかと考えてしまう。


(寄稿)酒菜(さかな)への恋文 第二回 『信長とふぐの舌』 濱田 毅

 濃い目がいい、それとも薄め? 女房が亭主の舌を気遣うように、活魚屋も、魚の舌の機嫌をとらなくてはならない。面白いことに、魚も辛党・甘党派に分かれている。と言っても、塩分濃度の好みの事だが、イケスの中で魚を泳がす時には、それぞれの魚の嗜好に合わせて、イケス割り(部屋割り)をしなくてはならない。
 濱屋では、店の地面のあちこちを掘って海水をくみ上げ、イケスに送っている。新しい海水を次々にイケスの中に送らないと、魚が弱ってしまう。ため水のままだと、水中の酸素はすぐに不足してしまうし、魚が泳ぐたびに水がよどんだり、水温が上がってしまうからである。店は海のすぐ近くにあるので、海水は豊富にあるわけだが、掘る場所によって湧き出る海水の質は微妙に違ってくる。ほんの数メートル違いでも透明度や水温、そして何より比重が違うので、この事には特に神経を払わなくてはならない。
 魚種によって、塩分濃度の好みは様々である。たとえば、タイやふぐなどは甘党、彼らには薄めの海水がよく合っている。それにひきかえ、エビやタコ、サザエやアワビなどは、どちらかといえば辛党だから、それにあわせて部屋割りをしなくてはならない。タコのいるイケスの中に、塩分の薄い海水を流し込めば、すぐにぐったりとなって弱ってしまうので、注意が必要だ。サザエやアワビも同様である。一方ふぐやタイなどを、辛めの海水の中に入れると、皮膚が擦れやすくなってしまうのは、十分立証済みである。
 さて、辛党か甘党かで魚を分類していくと、ある共通点が見出せる。人間の場合にも、味付けの嗜好が、性格や行動と密接な関係があるようだが、あの信長は大の辛党で、「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」の句のとおり、短気として名高い。『常山紀談』という古文書には、信長の味覚をあらわす逸話が残っている。信長が、京都の料理人、坪内石斎を使ったところ、その料理が不味いといって、怒って殺そうとした。坪内は「もう一度作らせてくれ」と信長に頼みこみ、二度目の料理を作るのだが、今度は、「うまい!」とほめられ、褒美さえいただく有様だった。何のことはない、二度目の時は、単純に味付けを濃くしただけのこと、信長の舌は田舎もので、濃い味の料理を好んだのである。坪内氏は、殺されずにすんだわけだが、彼は苦笑しながらこう言っている。
「最初の塩梅(あんばい)は京都で仕えた三好家の風なり。二度目の風味は、野卑なる田舎風にて候へば、御心に入りたるなり」
 この話から、田舎と都会の環境の違い、嗜好の違いを読み取ることができる。つまり、昔、田舎には肉体労働者が多く、塩分を多く摂取しなければならなかった。一方都会には、知的労働者が多く、塩分が少なくてすむから、料理が薄味になってしまう。このような見方もできるわけだが、気短かで激情しやすいタイプは、濃い味を欲する傾向があるようだ。かく言う私も、かなりの辛党で、確かにせっかちだ。辛党のタコは、すぐに墨をはいて興奮しやすく、いつもかまびすしく動く様子は、肉体労働者の如く他の魚よりも余計に塩分を必要とするのかもしれない。片や、おっとりと泳ぐふぐなどは、知的な魚なのかとうがった見方もしたくなる。総じて夏を旬とする魚は、辛党で、ふぐやヒラメ、タイなど冬場においしい魚は、甘党が多い。信長は辛党だったようだが、塩分の摂りすぎは、成人病を招きやすく、長生きできない。それでも辛党の人は刺激的な味を好み、情熱的な生き方を求める傾向があるのかもしれない。ふぐは甘党だから、信長とは正反対、気長に状況を見守り、「鳴くまで待とう」と、これは家康に似ているかもしれない。
 そういえば、ふぐを注意深く観察してみると、口の中には円筒状の舌(実際は、内臓を支えている骨格)があり、鍋に入れたり、から揚げにしてしゃぶりつくと、たまらなくおいしい。これが呼吸の度に姿を見せる。その様子は、妙にいじらしく、何か言いたげで、こちらの答えを待っているような気がする。待っているのは、人様がふぐを食した時の「旨い!」という一声ではなかろうか。
 ところで、こんなことわざがある。「河豚は悪女で蛸(タコ)の味」
 容姿は悪いが美味であるという意味だが、ふぐは身体に毒を持ち、その味わいや価格から、魔性の魚とも言われる。この点からふぐを考察してみると、彼は本来、タコや信長のように辛党で、エキサイティングな生き方をするはずではなかったのか! しかし、人間の「旨い!」という称賛を聞くたびに、だんだんと方向転換、自分の嗜好を抑え、少しでも長生きしてその身を肥やそうとしたのではないかしら。ふぐの舌をみるたびに、もっと我慢我慢、辛抱強くならなければと思う。
 自分のため、家族のために、食生活には留意して、近頃塩分を控えるようになったのは、ふぐの影響かもしれない。


(寄稿)酒菜(さかな)への恋文 第三回 『四分割ヒラメ考』(その1) 濱田 毅

 冬の高級魚と言えば、やはりとらふぐだが、ヒラメも忘れてはならない。ヒラメを漢字に当てると、鮃、平目となるが、お客様からは、ヒラメとカレイの違いをよく聞かれる。簡単に講釈すると、「左ヒラメに右カレイ」と言われるように、魚を前に置いたとき、顔の位置が魚体の左側にくるものがヒラメで、カレイは右側にくる。さらに、ヒラメは、別名「大口」と呼ばれるように、大きな口をしていて、鋭い歯を持っている。片やカレイのほうは、おちょぼ口で、口笛でも吹いているような可愛い顔つきをしている。何より両者は旬が違う。カレイは、春先から夏にかけて、ヒラメは晩秋から冬にかけてが美味といわれ、都会の料理店では、きっちりそれにあわせてメニューが組まれる。寒い時期、ヒラメの身を豪快に引いて刺身醤油で食べるもよし、うすづくりをして、ふぐのようにポン酢でやるのもよし、煮付けでも、焼いても美味、から揚げなら、骨ごとばりばりかじってしまい跡形もなくなる。昆布じめにすると、昆布の旨みのグルタミン酸と酢の酸味がヒラメの身肉に浸透して、その熟成された妙味にうなってしまう。とにかく、寒のヒラメにありつけば、しばらく時間も忘れて、箸を動かすことだけに夢中になってしまう。
 ヒラメは、小さなものでは800g前後、1kサイズ余りのものが主流で、大きなものなら4〜5kのものが水揚げされるが、料理店が一番欲しがるのは、1.5〜2.0kサイズである。稀に8〜10k級の超特大サイズも、水揚げされることがある。これなど全長は90センチほどもあり、惚れ惚れするほどの肉厚で、こんな魚との出会いは、やはり大切にしたい。こんなヒラメなら、食べ尽し消化されても、いつまでも記憶に残る、その人の味覚の貴重な財産になるだろう。
 人との出会いがそうであるように、魚とも、運命的な出会いがあると信じている。いくらお金を積んだとしても、縁がなければ出会いもないし、逸品の魚たちの美味真髄にありつくことはできない。できるならこんな肉厚の大物ヒラメを、一般のお客様の食卓に届けて、その感動の声を聞いてみたいと思う。そうは言っても、天然ヒラメのキロ単価は、平均相場がおよそ6000〜8000円くらい、10kもあれば、かなりの価格になり、量的にも小人数の家庭ではなかなか手が出せない。そこで、考え出したのが、特大ヒラメを四分割して販売する方法である。普通にヒラメをおろせば、その身は、表側上部、表側下部、裏側上部、裏側下部に分けられる。アラ(骨)も内臓(特に肝や胃、卵など)も4等分して販売するわけだが、これだとお客様の負担は、4分の1ですむし、貴重な特大サイズのヒラメも提供しやすい。ただ、1尾丸ごとの販売ではないので、どこかの部位が売れ残ってしまう心配もあるが、ホームページで「ヒラメ4分割販売」の案内をすると一度この大物の魅力を味わったことのあるお客様なら、迷わずすぐに注文してくる。もしかりに売れ残っても、これ程のヒラメは、めったに口にすることはできない。今夜の肴にと内心1部位残ることを期待する程である。各部位の重さが違うので、その価格も違ってくるが、まっさきに売れてしまうのは、表側上部である。この部位は、価格も一番高くなっているが、4分割の中では一番脂ぎっていて肉厚である。ちなみに、うちの家族の者はみな、底身愛好家である。表身にはない繊細な美味が底身にはあるように思う。一度手頃なサイズのヒラメを1枚丸ごと買って、4分割のそれぞれの味を見極めるのも一興だろう。(つづく)


(寄稿)酒菜(さかな)への恋文 第三回 『四分割ヒラメ考』(その2) 濱田 毅

 さて、四分割されたヒラメの身を見るたびに、少し変わった視点からヒラメの考察を試みることを思いついた。題名の「四分割ヒラメ考」とは、実は山田風太郎氏の作品『四分割秋水伝』をもじったものである。秋水とは、社会主義運動の旗手、大逆事件で死刑になった幸徳秋水のことで、山田風太郎氏は、奇想を持って秋水の実相に迫ろうとした。つまり、幸徳秋水を四つの部分に分けて分析、描写している。その四つの部分とは、上半身(タテマエ)、下半身(セックス)、背中(本音)、大脳旧皮質(本音以前の本人も認めない原始深部の声)だが、ちょうどこれがヒラメをおろした時に、骨を残して、身が表側上部、表側下部、裏側上部、裏側下部と、四枚に分かれるので、それに重ねて考察したくなったのである。
 山田風太郎式にヒラメを四分割して考察すると、上半身(タテマエ)はヒラメの表側上部、下半身(セックス)は表側下部、背中(本音)は裏側下部、大脳旧皮質(本音以前の本人も認めない原始深部の声)は裏側上部、とこんな図式になる。ヒラメの表側上部は、いつも注目のまと、白日衆目にさらされ、身質の良さを試されるのはまっさきにこの部分である。つまりここがヒラメの上半身(タテマエ)にあたる。ヒラメの表側下部は、内臓を抱え込み、生殖器官もここにあるから、これを下半身(セックス)部分とするのに異論はないと思う。裏側下部を、背中(本音)とするのは、やはりここでも骨一枚はさんで内臓部分に接し、本能と理性の葛藤と戦いながら、その身体を移動する(行動する)、普段は、海底に接して、なかなかその正体を見せようとしない部分だからである。
 我々活魚屋は、ヒラメをイケスから上げ、強引に裏返して、その価値を見極めようとする。ヒラメは、砂地に生息するが、砂に接する側、すなわち裏側は真っ白で、表側は、砂地の色に同化するごとく茶褐色の色模様になる。イケスに入れておくと、擦(す)れができるのは、この裏側下身の部分からである。狭いイケスの中へとらわれの身となり、本音のままに行動することができなくなって、まっさきにこの部分にストレスがたまるのかもしれない。残ったのは、裏側上部で、これは大脳旧皮質(本音以前の本人も認めない原始深部の声)、深層心理を表す部位として当てはめたくなるのだ。 
 この「四分割ヒラメ考」を人生にも重ねて考えてみる。幼年期、青年期、成人期、そして老年期を、くだんの四分割に強引に重ねると、幼年期は、大脳旧皮質(本音以前の本人も認めない原始深部の声)、これは、幼少の頃の体験が、デジャビュ(既視感)として無意識のうちに蓄積され、大人になってふと懐かしき癒しの光景となって甦ってくることがあるからだ。そして、青年期は、下半身(セックス)、成人期は、世の中のしくみをしるようになり、社会人としての常識ある行動を要求されるので、上半身(タテマエ)、老年期は、背中(本音)と当てはめてみた。私も齢(よわい)51となり、これから老年期への道をめざして駆け昇っていくわけだが、この部分は、ヒラメ四分割で言うところの、ヒラメ裏側下部にあたり、背中(本音)にあてはまる。黄泉の国に旅立つまで、過去を振り返りながら、後悔と反省しきりで、いつまでも本音とタテマエの葛藤の中で悶々としならが暮らしていくのかもしれない。それでも人生は、これからが肝心だと思う。終わりよければいい人生だったと思えるに違いない。人生は、晩年が勝負だと思っている。そして自分の娘らには、父親として、魅力ある背中を見せ続けていたいと思うのだが…。
 今回は、「四分割ヒラメ考」と題して、勝手な思いを綴ってみたが、寒のヒラメは文句なしにうまい。その美味真髄を届けるために、今日も嬉々としながらヒラメをおろす。ヒラメをまな板に仰向けに寝かせ、まずは身体の中央部に包丁を入れ、2枚に分ける。表身が終われば、ヒラメをうつぶせにして、同じ手順でヒラメをさばいていく。最後に裏側下部の身がさばかれ、とうとう、簾(すだれ)のようになった骨の向こうに、ヒラメの身が4枚横たわる。つい感慨深い表情で眺めてしまうが、本日の話もこれにてかく筆、しまい(4枚)にしよう。(おわり)


(寄稿)酒菜(さかな)への恋文 第四回 『春を待つ赤』 濱田 毅

 色ものの少ない冬期、市場でもイケスでも、ひときわ目を引くのは、タイの赤である。所々わずかに黄みを帯びた鮮やかな赤は、緋色(ひいろ)で、これは火に通じ、まさに火色(ひいろ)、「火」を「想ひ」の「ひ」にかけて「想ひの色」とも呼ばれ、タイの熱い情熱を重ねてしまう。タイとはもちろん、マダイの事。余寒の残る、つまり寒鯛がことのほか味がいい。産卵をひかえ、気力も体力も充実している。メスの鰭(ひれ)には赤い婚姻色が現れ、体には輝点といわれる宝石をちりばめ、目の上ではプルシアンブルーが眩しく輝いている。まるでアイシャドーをぬったみたいで色っぽい。外見だけでなく、おろしたときに包丁にまとわりつくその脂質には、ごくりと生唾を飲んでしまうほどである。    
 メスのマダイは、その精いっぱいの赤でオスの愛を勝ち取り、次世代へとつないでいく。タイは普段、深場に住んでいるが、産卵のため沿岸に郡来してくる。浅場に押し寄せてくるタイを上から見ると、海面に桜の花びらが散っているように見えることから、「桜鯛」として春の季語にもなっているが、実は桜より前の、椿や梅の花が咲く頃が一番の旬である。春の訪れの前に、その「想ひの色」を一段と煌(きら)めかせる。
 椿の花も、殺風景な寒げな風景の中で健闘している。一点ぽっと灯をともしたように咲く寒椿は、清楚さも豪華さも兼ねそなえていて、見る人の心をとらえて離さない。雪残る山野で椿の花に出会うとき、冬から春への季節の蘇りを感じずにはいられない。椿は春の手草(たぐさ)である。その名は、厚くて艶(つや)のあるその葉から、厚葉木(アツバキ)または艶葉木(ツヤバキ)が転じたようだが、香りのない花の代表ともいわれる。花は昆虫を引きつけて受粉するために、色、香り、蜜などに工夫をこらし、さまざまに進化していったが、椿の場合には、それが昆虫ではなく鳥だった。椿が咲くと、メジロやヒヨドリが蜜を求めて群がる。そして椿の花が散らずに、ぽとんと花ごと落ちるのは、昆虫よりずっと行動範囲の広い鳥たちの目をひくための手段なのである。潔く果てていく紅の濃さに、春を待つ「想ひ」の深さを感じずにはいられない。
 ところで、家康は、タイを好んで食したと言われる。当時はかやの油にて揚げ、その上にらっきょうをすりかけ、うす味の汁にひたして食したようだが、旬のタイは、単純に刺身で食べたい。煮付けでも塩焼きでも、できるだけ薄味で、これが基本姿勢である。ごてごてした味付けをして、味を装うなどもってのほか、すっぴんが一番と思ってしまう。晩年、家康は、タイを食べ過ぎ体調をくずしてしまうが、その後、将軍職は15代まで引き継がれていく。江戸時代の資料をひもとくと、12代将軍家慶(いえよし)の側室となったお琴(こと)の方は、恋人から贈られた紅梅に涙して、落花流水の情の中、最期の時を迎える。彼女は、家慶死亡後、出入りの大工、幸次郎と恋におちた。しかし将軍の側室から落飾(らくしょく)して和光院となった身、幸次郎への思いが通るはずがない。そもそもお琴の方は、お家復興のため、そしてなにより兄の思惑で、家慶の側室となった。将軍亡きあとは、幕政への太いパイプが断ち切られ、兄の野心はもろくも崩れ去ったわけだが、妹のただならぬ噂を耳にして、兄は烈火のごとく怒った。とうとうお琴の方は、悲恋の末、手討ちとなったのである。彼女の胸元には、幸次郎から贈られた梅の花の根付けが一輪輝いていた。この花色に、お琴の方は恋人と過ごした夏の夜の蛍火の思い出を重ねあわせ、来世の春を信じて、気丈に果てていく。将軍家側室の史実として、些細なできごとかもしれないが、梅の花の赤が二人の恋の情熱といっしょに瞼に浮かんできて、つい胸が熱くなる。とにかく一番肝心なのは、春の来るのを信じて、「想ひの色」を精一杯燃やし続け生きていくこと。春を待つ赤こそ、索漠たる心の風景の中で異彩を放つ。

「むめ(梅)一輪いちりんほどのあたたかさ」
 
 春はゆっくり訪れる。 (おわり) 


酒菜(さかな)への恋文 第五回 『恋忘貝の耀(かがよ)い』 濱田 毅

 中国では上等のご馳走のことを、『参鮑翅(サム、パオ、チィ)』と表現するらしい。参は、ナマコのこと、鮑は、アワビで、翅は、フカノヒレのことである。いずれも中国の高級食材で、これら3つがそろうのをご馳走の条件としている。どれか一つでも欠けてはならない。徳川時代には、これらは対中国輸出俵物の最高級品として、長崎から俵に詰めて輸出されていた。今回は、その中のアワビについての話だが、日本人とアワビの関係は古い。
 日本についての最古の記録といわれる『魏志倭人伝』には、次のように記されている。
「好んで魚鰒を捕らえ、水の深浅と無く、皆な沈没して之を取る」。 
 つまりこの本が書かれた3世紀の頃から、日本人はアワビを好み、海女のようなことをして貝をとっていたことがわかる。万葉集にも、「朝な夕なに潜(かず)くといふ 鰒(あわび)の独念(かたおもい)にして」というのがあり、アワビはもとは鰒と書いていたようである。この鰒の字は、魚偏をとって読めば「ふく」と音読でき、いつのまにか河豚(ふぐ)と混同されてきた。
 江戸時代、滝沢馬琴の『燕石(えんせき)雑誌』にはこんな話がある。日ごろから物識(し)りを自慢にしている医師のところへ、かかりつけの患者がお使いの者に手紙を持たせた。「鰒は食べてもよいか」と書いてあったので、医師は「鰒ならよかろう」と返事を書いた。患者は医師からの手紙を読むと、その夜、喜んでフグを食べて死んでしまった。医師は鰒をアワビと解釈し、患者は鰒をフグのつもりで尋ねたのである。鰒がアワビとして統一されていたら、まちがいは起こらなかったかもしれない。医師の許可を真に受け、安易にフグを調理して悲劇が起こったわけである。原因は案外江戸の俳人らにあったのかもしれない。
「五十にて 鰒の味を 知る夜かな」
 これは俳人小林一茶の句だが、明らかにフグのことをうたったものである。フグは、ぷっと膨れ、その腹に特徴があるので、鰒をフグとしたくなる気持ちはよくわかる。芭蕉や一茶など、著名な俳人が、句などで鰒を勝手にフグと解釈して使っているうちに、それがだんだん庶民の間に浸透していったと考えるのは、ちょっとうがち過ぎだろうか。
 閑話休題。さて、前掲の万葉集の歌に戻るが、「鰒(あわび)の独念(かたおもい)にして」のとおり、古人はアワビの様子を片想いとしてとらえていたわけで、恋人に「逢わぬ身」、思いをとげることができない「合わぬ実」、これらがつまって『アワビ』となったという説もある。それならアワビは、恋の成就を夢見る貝として「逢日」、「合身」、または、乙女の淡い恋心の美しさにたとえ「淡美」などとあてるのはいかがだろう。とにかくアワビは、その旨さから、貝類ナンバー1と言っても過言ではない。刺身のあのコリコリ感にしても、バターがひかれたフライパンの上で、歓喜の声をあげながら身悶えして、美味なる身汁をあふれだす光景を見ているだけで垂涎ものである。味がいいだけでなく、海藻を主食とするアワビは、ビタミンAを豊富に含んでいて、眼にいいようだ。妊婦がアワビを食すれば、眼のきれいな子供が生まれる、そんな迷信? もある。中国でのアワビの別称「石決明(せっけつめい)」(明を決するとは、明るくすること)にも、アワビは、眼を良くする貝という意味が込められている。さらにアワビは、古来『恋忘貝(こひわすれがい)』という異名を持ち、触るだけで、恋の苦しみを忘れる不思議な力があると信じられていたとか。確かにアワビの殻は、神秘的である。
 こちらの地方でも、魔よけとして、アワビの殻を軒先につるす風習があった。貝殻に光があたり、キラキラと怪しく輝く様が、猪などの野生の猛獣が近づくのを防ぐ効果もある。アワビの美肉を頬張り、残された貝殻を見ると、その美しさに魅せられて、捨てるのが惜しくなる。貝殻を水槽の底に沈めたり、植木鉢のすみに置いて日々眺め見るのは楽しい。貝殻の内側に光が当たると、神秘的な色あいで「かがよい」始める、ここでは輝くというより、 耀(かがよ)うという字をあてたくなる。難解な字を使って恐縮だが、「眩耀(げんよう)の海」という言葉がある。海面に日光が当たって、きらきらまぶしい光景だが、耀(かがよ)うとは、ちょっと間をおきながら、ちらちら光ること、どうやらその光の中に不思議な力が隠されているようである。
 あなたも是非、恋忘貝の耀(かがよ)いをお試しになってみては? その光を浴びた瞬間、不思議な夢の飛行が始まるかもしれない。(おわり)


酒菜(さかな)への恋文 第六回 『鱧の忍び音(しのびね)』 濱田 毅

 「ザック、ザクザク、ザクリ・・・」
 調理場から、小気味よい音が聞こえてくる。鱧(ハモ)の骨を切るこの音は、清々しい。段々のさばり始めてくる暑気をも断ち切るようで、涼を誘う。ついでに、日頃の鬱憤もあわせてカットしたいと思ってしまう。この音が響きわたるようになると、料理人の白衣はすっかり半袖にかわり、今まで着衣の下に隠れていた二の腕が、ちょっぴり恥じらいを見せながら、鱧の白い身肉といっしょになって、初夏の光をまぶしそうに待ち構える。 その弱々しい肌色も、ザック、ザクザクと音を重ねるごとに、たくましい小麦色に変わり、そうなればいよいよ鱧の季節本番である。
 鱧は、そのいかつい顔に似合わず、味は上品、 しかし小骨がきついため、身をおろしたあと、「骨切り」と呼ばれる処理をしなくてはならない。骨切りは、皮目を下に置いて、身に沿った縦の小骨を細かく切っていく。その際皮が切れないように、すんでのところで包丁を止め、細長い身を、一寸(約3.3センチ)に20以上の包丁を入れながら、ぬかりなくやらなくてはならない。上方から尾の先まで骨の量も硬さも違うので、1本の鱧の骨切りの音は、それにあわせて変化する。大きさによっても違ってくるし、同じサイズのものでも、身質や骨には個性があるので、それが骨切りの音に微妙な差となって聞こえてくるのがわかる。耳をすませば、何だか鱧の身の上話を聞くようで楽しいものである。きちんと骨切りさえすれば、あとの料理は簡単である。骨切りした鱧の身肉を一口大に切る。湯通しすることを、湯引きと言うが、皮の方から熱湯に浸ける感じで、身がそり返り、牡丹のような花が咲いたら、手早く引き上げてポン酢につけて食べる。これが鱧しゃぶである。湯引きした鱧を氷水に入れ、水気をとった後、梅肉や酢味噌につけて食べるのもいい。出始めの頃の小さなものを「水鱧」と言うが、鱧の落としは、京都の祇園祭りや大阪の天神祭りの時、料理の主役を務める。夏の鱧を特に「祭り鱧」と呼ぶ所以である。
 鱧料理の食文化は、京都を中心に栄えた。関西において鱧は夏の高級食材である。スーパーでも鱧の湯引きは広く販売されていて、生活に密着した食材になっている。ところが関東では、高級日本料理店以外ではあまり目にかかることはなく、馴染みがうすい。関東の鱧消費量は、関西の10分の1程度である。なぜ関東では鱧料理が流行らなかったのか? 一説として、鱧は、寒水には住まない暖海性の魚なので、主として関西以南で愛好されたと考えられる。普通の魚と違いウロコがなく、水がなくても身体から粘液を出し、しばらく生きていることができる。
 輸送技術が発達していなかった時代、生きたまま輸送できる生命力の強い魚として、海から遠く、生きのいい素材に恵まれない京都で、鱧は特に重宝された。頭から尾まで複雑に枝別れしながら通っている鱧の骨を、京都の料理人は、「骨切り」という技術で克服して、一流の料理に仕立て上げたのである。
「さすがに京都! 山にも鱧がいる」
 輸送中、逃げ出したものだろうが、旅人の間ではそんな評判が立つほど、京都へは鱧が頻繁に運ばれたのである。
 一方、江戸には魚が豊富にあり、小骨の多い鱧は、はなから避けられたのではないか。ましてや鱧は、腹を裂いて調理されるので、これは武士の切腹につながる。商人の町、大阪なら「腹を割って商談しましょう」と軽く洒落てしまうが、将軍のお膝下では、穴子も鰻も背開きが主流である。このことも鱧が関東で流行らなかった原因の一つではないかと思ってしまう。
「ザック、ザクザク、ザクリ・・・」
 とにかく今年も待ちわびていた音である。鱧の骨切りの音を、空谷の跫音(くうこくのきょうおん)などと形容するのは大仰かもしれないが、山あいにさびしく暮らす人には、訪れる人の足音さえうれしいものである。
 嵐山(京都)などで、鱧の骨切りの音は、待ち人の足音とも重なり季節の向こう側からやってくる美味なる足音として聞こえてきたのではないかと思ってしまう。鱧にとっても、高等な技術で手厚く骨切りされて、今まで背負ってきた骨の悲しみがやっと断ち切られた、ああこれで食される。食されて、今度は人様の命になって生き続けることができるのだと、骨切りの音は鱧の歓喜の声だと思いたい。
 ホトトギスの初音(はつね)を忍び音(しのびね)と言うが、この骨切りの音は、鱧のうれしい忍び音(しのびね)のように聞こえてくる。雨女のつややかな足音を聞くごとに、鱧はますます美味しくなる。暑い夏を迎え、松茸が出始める秋の頃まで、骨切りの音は調理場に冴え響き、雪女の足音といっしょに、恋人が去って行くような足取りで、切なく遠ざかって行く。
 啼いて血を吐くホトトギス、潔く身をさばかれ骨を刻まれる鱧。命をかけて発する小音(さね)も、世の中のさんざめきの中ではむなしくも埋もれてしまうが、鱧の忍び音(しのびね)に耳を澄ませば、忘れかけていたやさしさがよみがえってくる。    

骨切りの右手に伝わる鱧の悲喜(佳風)
                        (おわり)
※佳風(かふう)は、私の俳号


酒菜(さかな)への恋文 第七回 『アリストテレスの提灯(ちょうちん)』 濱田 毅

 どんより曇った梅雨空の下で、ウニが鮮やかな色を放っている。殻を割った時、まずはその橙色が目に飛び込み、心に灯りがともる。
「ぽっ、ぽっ、ぽ!」
 音が聞こえてきそうな程である。殻の中は、五つの部屋で仕切られ、艶のある身がこんもりと横たわっている。いやこれは正確に言うと、ウニの精卵巣で、その色は、まさに輝く太陽のサンシャイン・イエロー。枇杷(びわ)もそうだが、梅雨期にこの色はありがたい。沈みがちな心の風景にまぶしく照り映える。何よりこの色の味わいにまっさきに反応して、舌が遮二無二踊り始めてしまう。磯でとったウニの殻を割って、さっと海水ですすぎ、しゅるっと口に運ぶのはたまらない。生をわさび醤油で食べると、とろりとした甘味に舌が歓喜する。ウニは寿司ねたの定番だが、刺身の上に乗せて食べるのもまた格別おいしい。
 ウニを漢字で当てると、海栗となり、まさにその外形を言い得て妙だが、海胆や雲胆とも書く。雲胆は特に塩漬けしたものを指して言う。ウニの種類は豊富で、世界中には約千種類もあるといわれるが、全部が食用になるのではない。日本では、北海道や東北地方のバフンウニ、東京湾から九州にかけてのムラサキウニが食用ウニの代表選手である。
 ウニは一見、サザエやアワビのように、貝の仲間と思ってしまうが、実はナマコやヒトデと同じ仲間で、棘皮(きょくひ)動物である。棘皮動物は、トゲが皮膚を覆い、水の詰まった管が体中を走っている。江戸時代、「天下の三珍」と言えば、ボラのカラスミ、ナマコのコノワタ、そしてウニの精卵巣だが、三珍のうち二つも棘皮動物が占めているのだから驚いてしまう。そしておもしろいことに、棘皮動物の基本の数は「五」である。ヒトデは見ての通り五本の腕、ナマコもスライスすると、内側の壁の面に、五つくっついているものが見え、輪切りの形が五放射状に見える。ウニの場合には、中央から真横に切断すると、殻内は美しい五稜角状をしていて、その五つの部屋の隙間を埋めるようにウニの生殖巣が詰まっている。「五」という数字からは、五体(頭・首・胸・手・足)、五臓(肝・心・脾・肺・腎)、五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五種類の感覚)など、人間の肉体や感覚のことを指す言葉を思い浮かべてしまうが、儒教の五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)や五常(仁、義、礼、智、信)は、人間の守るべき道徳のことを説いている。中国の五行思想は、万物は木・火・土・金・水の 五種類の元素から成るという説で、五という数字は生命の神秘をひも解く重要な鍵を握っているような気がしてくる。
 さて、ウニの口には、五本の歯が放射状にはえていて、岩の表面をガリガリかじって、藻類などをけずりとって食べる。岩にへばりついている側が、ウニの口側の面で、真ん中に口がある。つまり陸上の生物とは逆に、ウニの排泄口は上方に位置するのだが、岩の窪みや陰に住むウニが岩に付いた藻や流れてくる藻を食べるためには、この方が都合が良く、海中では排泄口の位置が引力に逆らっても、排泄物は海水が流してくれるので何も問題はない。ギリシャの哲学者アリストテレスは、「動物学の祖」ともいわれるが、地中海で海産動物の研究中に、ウニの口器の不思議な形を見逃さなかった。彼が初めてそのことについて書き記したことから、ウニの歯(口)は、「アリストテレスの提灯(ちょうちん)」と呼ばれるようになった。確かにその形は、提灯(ランタン)に似ているし、神秘的な図形にも見えてくる。西洋の思想では、幾何学は世界の創造、生命の根源と密接な関係があるとされていて、プラトンは、正四面体、正六面体、正八面体、正十二面体、正二十面体の五つの立体に注目した。それぞれ面の大きさ、辺の長さ、内角の角度、これらがすべて同じで、しかも球にぴったりおさまる、これらの条件を満たす立体は宇宙に五種類しか存在しない。いわゆるプラトン立体と呼ばれるもので、ダイヤモンドの正八面体の結晶など眺めていると、心がきらめき、不思議な力がわいてくる。さらに神聖幾何学には、十九個の円を持ち、外側を二重の同心円によって囲まれているフラワー・オブ・ライフという図形がある。これは生命のサイクル、果樹のサイクルを象徴しているとされている。例えば、樹が花を咲かせ、実をつけ、種子を含み、地に落ち、新たな樹を生む。この五つの生命サイクルこそが、幾何学と密接な関わりを持っていると言われるのである。
 ウニの針山をとってしまえば、フラワー・オブ・ライフの模様と重なってみえてくる。ウニの殻内は、ほとんどが消化管と生殖巣で占められ、言うなれば、食い気と色気だけの単純な構造である。それが、古代ギリシャの時代から、現在に至るまで生存できたのは、一固体それぞれが誕生と死滅を繰り返しながら進化し続けていった証である。気の遠くなるような年月の間、すさまじい環境の変化に耐えて生き続けてきたウニの生存能力には、ただただ頭が下がる。もしかしたらウニの生態には、現代人にも通ずる生き方のコツが秘められているのかもしれない。「アリストテレスの提灯」が、そのヒントを照らしているような気がしてくる。(おわり)


酒菜(さかな)への恋文  第八回 『病 葉(わくらば)』  濱田 毅

 青葉がまぶしい夏、早くも変色している葉っぱに出くわす。病葉(わくらば)である。
 病害虫、あるいは風通しの悪さなどから変色するようだが、緑色の葉っぱの中で、この赤や黄白色はやはり特殊な色として目に映る。
 病葉(わくらば)の語源は、別くる葉が変化したとか、若葉の「わ」と、虫が食らうの「くら」がくっついたという説などがあるが、病葉(わくらば)は、植物に限ってのことではない。動物だって人間だって、そして魚にも見られる。魚の場合には、身質が内に隠されているので、3枚におろしてみてはじめて気がつく事が多い。
 どんなに活きがよく自信をもってさばいたものでも、飴色の身質の中に、一点病葉(わくらば)のような色を見せられ、がっかりしてしまうことがある。もちろんそれらは商品価値がなくなり、病んでいる箇所をとりのぞき、たいていは賄(まかな)いの食材になってしまう。
 我が家の夕食の食卓には、2日続けてアワビが並んだ。軽く塩こしょうして、フライパンにバターをひいて炒めたものだが、家人の誰もが、うまいうまいと言いながら舌鼓を打った。ちゃんと生きていたのだから、うまいに決まっている。ただそれらはすべてほんの一点、病葉(わくらば)のような変色を見せており、そこだけを取り除きスライスしたものだった。
 もぐりの漁師さんが捕獲するとき、不覚にもつけてしまったほんの小さな傷だが、水温が上がる夏の時期には、とてもこたえるようだ。身質は白色に変色してその部分だけすぐに仮死状態になってしまう。もうこうなったら、活きアワビとしては使えず、こちらの胃袋におさまってしまうしかない。
 アワビはその1枚殻を背にして、身肉で岩に張りつきじっとうずくまっている。その形状から、「鮑(アワビ)の磯の片想い」などという言葉も生まれたが、アワビの活きの良し悪し、さらにはアワビの病葉(わくらば)を見定めるのには少々苦労する。水槽のカゴの中でぴったりくっついているアワビを、1枚1枚はがして丹念に調べなくてはならない。アワビはその身肉が完全に死んでしまっても、しばらくはぴったりとはりついているからである。その粘着力には、生への執念さえ感じてしまう。
 病葉(わくらば)も静かに運命と戦っている。葉が虫食いにあったり、すっかり変色しても、細い茎に支えられ、風にあわせて必死で揺れている。
 秋を待たずにとうとう朽ち果ててしまう姿はやはりあわれだが、古人の自然へのまなざしは鋭く優しさに満ち溢れている。
 このあわれさを加賀友禅の彩色の中で生き返らせてしまった。虫食いという手法で、職人は根気よく点を打ち図柄に三色ぼかしを配す。華やかな花鳥風月の図柄の中で、病葉(わくらば)の色が輝きはじめる。
 染色後の後加工が少ない加賀友禅は、染めが命、病葉(わくらば)の表現は加賀友禅のアクセントでもあり、和様美として長く引き継がれているのである。
 生けるものは皆、大なり小なり病葉(わくらば)を抱えて生きている。人も年を重ねるごとに、病葉との邂逅(かいこう)が増えてくる。自分のそして目の前の大切な人の病葉(わくらば)には、特に目を凝らしていたい。丹念に水をかけ、存分に世話をしてあげたい。
 「邂逅に」と書いて「わくらばに」と読むが、病葉(わくらば)もまたかけがいのない巡りあいなのかもしれない。そう思って仲良くつきあっていきたい。
 落葉の中に病葉(わくらば)を見つけたら拾って持ち帰り、栞(しおり)にでもして手許に置いておく。おろした魚の身質に(わくらば)を見つけたらそっと取り除き、膝を正して改めて命をいただくことに感謝する。
 青葉は目の薬、そして病葉(わくらば)は、優しい気持ちを取り戻す心の薬。(おわり)


酒菜(さかな)への恋文 第九回 『ふぐの背中』  濱田 毅

 魚を料理していて、はっとすることがある。例えばオコゼをさばく時。いかつい背中のトゲをとったあとに、白い美肉を見せられどきっとする。うつぶせになってまどろむ女性のことを思ってしまうのである。外見の醜いオコゼと同一視するとは、女性からは、ひんしゅくを買うかもしれないが、背中の美しさには、どこか共通点がある。ヒラメにしても、上身をおろした姿は、簾(すだれ)のような骨を通して、飴色の身がうっすらと広がり、つい見とれてしまう。そしてこれからの時期は、とらふぐである。 ふぐは、まず背中に包丁を入れ、その皮をはいでいく。視線はまっさきに、皮をはいだ背中に釘付けになる。ふぐの背中もまた美しい。花や鶴の模様のふぐの薄作りを見事に盛り付けられる板前を、関西では「真(しん)」、関東では「花板」などと呼ぶが、見事な大輪のふぐ刺しは、この美しい背中から生まれる。
 ところで、ふぐを刺身にする場合、その選別にはかなりの神経を使う。まずはイケスの中で泳ぐふぐの、活きの良さ、肉質などを外見から物色するわけだが、たも網でふぐをすくい、まぶたをこすったりする。活きの良いふぐは、反応よくまぶたを閉じて愛らしい顔つきになる。さらには、ふぐの背中を撫でてやる。 これは、ふぐをさすりながら、背中の肉付きの感触を確かめているのである。背中を数回撫で、そして横腹にもそっと手をのばしていくと、筋肉の状態がわかる。ふぐにはうろこがないから、身は皮に直接覆われている。触ってみると、その身質の感覚が即座に指先に伝わってくる。ここで大事なのは、弾力性があるかないか。ふわっとした感触をふぐの背中に感じるとほっとする。生まれてから今まで、冬の季節風や冷たい時雨にも、さらには、どんな厳しい状況におかれても、この背中のクッションが大切な身を守っていたのだと思ってしまう。これならまちがいない。上等のふぐ刺し用として供給できる。でも中には、皮が身にぴったりくっつき、背中が硬いものが出てくる。外部からの刺激にさらされ、そのきびしさやつらさが、皮一枚では守りきれなかったのだろうか。指先に「ふぐの悲しさ」となって伝わってくるのである。こんなふぐは、活きていても刺身には向かない。身は異様に白く、さばかれた後の身に力がない。刺身に引いても、身にノビがなく味わいが弱いのである。上等のふぐはさばかれても、その身は、まだ呼吸している。おろされたばかりの身は驚くほど饒舌である。その活力が弾力となって伸縮するので、刺身に引いてもきれいに盛り付けできない。タオルにまいて一晩か二晩寝かせて、身を落ち着かせる必要が出てくるわけだ。この時間の経過が、身の熟成となり、ふぐの深い味わいを醸し出す。ところが背中をさすってみて、その身に硬質を感じたものはこうはいかない。それらは刺身用の選からこぼれ、ふぐしゃぶやなべ用のものとして使われる。ふぐ一本供給するにも、その安全性を届けるのはもちろんの事、その用途によって、細心の注意を払い吟味しなくてはならない。それがふぐ1本にかかってくる価格なのである。それにしても、こうも背中にこだわるのは、赤ん坊の時、母の背におぶられた印象がいつまでも体にしみこんでいて、大人になっても、あの安心感ややさしさを懐かしんでしまうからかもしれない。背中を見ていると、遠い日の記憶がよみがえってくる。ふぐの背中が、乳白色の砂浜に見えてきて、海鳴りの音に混じって、貝殻を耳にあてた時のような音が聞こえてくる。
 そういえば、肩甲骨(けんこうこつ)は、貝殻骨の別名がある。だからだろうか、母の背中からも確かに、貝殻からのじりじりとした音が聞こえてきた。女性にも魚にも美しい背中を求めてしまう。どんなに年をとっても、背中だけはどこか幼い線を残して無邪気に広がっている、そんな背中が好きでたまらない。愛する人の背中なら、時々さすって、硬いしこりができていないか確かめてみなくては。悲しみを薄めるように、そっとさすってあげるだけで、希望の丘ができるに違いない。
 さあて、今日もふぐをさばきながら、どんな美しい背中に出くわすかと思うと、心が躍るのを抑えることができない。(写真上から、オコゼ、ヒラメ、フグ) (おわり)


酒菜(さかな)への恋文 第十回 『ふぐと危険負担』  濱田 毅

 いきなり問題を一つ! あなたが待望のマイホームを買って引き渡しを受けるまでの間に、地震や落雷などの天変地異で建物が滅失してしまったなら、その損害は、誰が負担するのか? 民法の条文を参照すると意外な答えに驚いてしまう。民法第五三四条【危険負担-特定物に関する債権者主義】の解釈では、建物の引渡しを受けられなくても、あなたは建物の代金を支払わなければならない、これが通説である。建物が手に入らないのに、なぜ? どうにも合点がいかない。ちなみに売買の目的物が、酒や電化製品など、そして魚なら状況は逆転する。電話やインターネットで注文を受け、遠方へ魚を発送する場合、商品が無事に届くまでは、お客さんは、何も責任をとらなくていい。民法の条文も常識的見解からそううたっている。では、マイホームと魚ではなぜ違うのか? 民法では、これを特定物売買、不特定物売買と区別して規定している。活魚屋が魚を売る時は、種類、大きさなどを定め、何尾かある同じ種類の魚の中から適当なものを選び販売する。つまり魚や電化製品を民法では不特定物としていて、不特定物売買の所有権は、そのものが特定したときに移転するとしている。魚の場合には、商品を届けた時に、売買の目的物はその魚に決定して特定物となる。所有権もこの時にお客さんに移転するわけだが、途中の事故(危険)は、魚の所有者としてこちらの負担となる。これなら筋道が通っている。ところが、マイホームの場合は事情が違う。買主の選んだマイホームはこの世で唯一つの特定物である。特定物の場合には、売主と買主の売買契約の合意だけで、所有権は買主に移転して、その後の事故は所有者の責任となる(債権者主義の原則)。前例で、売主の不注意で建物を滅失したのなら、その責任は当然売主にあるのだが、地震とか台風で建物が損壊した場合、買主がその損害を被り、つまり建物の代金は支払わなくてはならないのである。ただ実際の取引では、こんな不条理を避けるために、売買契約書において、「建物の引渡し前に建物が滅失したときは、買主は代金の支払い義務を免れる」という特約を定めているのが通常だが、もしもこの特約事項がなかったならぞっとする。あらら、稚拙な民法講釈に走ってしまい、前置きが長くなってしまった。実は入札で大量のふぐを仕入れた時に、この民法の「危険負担」の問題を思い浮かべてしまうのである。ふぐのシーズンになると、地元漁港ばかりでなく、伊予灘のふぐ漁寄港地のあちこちから、ふぐ入札の連絡が入ってくる。以前の多い頃には毎日数百キロも水揚げされ、金額にすれば一日に数百万円程の大きな取引になる。漁港には、それぞれ仲買人がいて、彼らと連絡をとりながら、目当ての商品を仕入れてもらう。電話などで入札価格を決め、首尾よく落札できれば、その商品を取りにいくまでは、万全の管理のもとに、イケスに留め置いてもらう。仕事の段取などで、ふぐを取りにいくのが、翌日になる事もあるわけだが、その間、地震や津波、火事などの異常事態を思い浮かべてしまい、それらの杞憂すべき事態が実際に生じたとしたら、その危険は誰が負担するのか? などと、民法の危険負担の条文を思いだすことがあるのだ。ふぐは、不特定物だから、引渡しが済むまでは、取引先の仲買人の責任で処理してもらえるのか? いやふぐは不特定物でも、このイケスの中の全てのふぐと既に特定しているような気もする、それではやっぱり、天災異変で生じた損害はこちらが負担しなくてはならないのか? あれこれ考えてしまい心配でたまらなくなる。通常の不動産売買のように、ふぐの取引においても特約条項でもうたっておくべきだったか、そう考えてしまうが、そんな細かい契約書をかわすのは、長年の信頼関係にもひびを入れるようで、言い出せない。事が起こればその時だ、と開き直るしかないのである。とても高価なふぐなればこそ、こうしてあれこれ思いをめぐらすわけで、他の魚だと考えもつかないようなことばかり。だからこそ、こちらのイケスの中に無事に運び込まれ、元気に泳ぐふぐの姿を見ると、感慨しきりというわけである。これほど高価で貴重な天然とらふぐなのだから、ふぐに抵当権、いやふぐは動産だから抵当権は無理でも、質権など設定して、銀行からお金が借りれるようにはならないかしら。天然とらふぐは、金やダイヤモンドにも匹敵するほどの希少価値があり、担保価値としても十分だろう。一回一回担保権設定契約をするのはめんどうだから、根抵当権ならず根質権の設定なら実情にも合っている。極度額数百万円の根質権設定契約などいかがだろう。銀行を相手に、高級天然とらふぐを目的物とする担保権設定契約など前代未問! さすがふぐ処!などと、日本中の誰もが度肝を抜かれるに違いない。ただ質権の場合、ふぐは手許には置けず、借金のカタとしてとられるわけだから、銀行にはイケスも冷蔵庫も必要になってくる。ふぐの取扱いについては、銀行員にも丹念に指導しなくては!
 イケスで泳ぐふぐを見ていると、途方もない空想がどんどん広がっていき時間が経つのも忘れてしまう。(おわり)


酒菜(さかな)への恋文 第十一回 『竜涎香(りゅうぜんこう)の神秘』 濱田 毅

 我々が食するイカは、大きく2つに分類される。胴の中に石灰質の貝殻を持つ甲イカの仲間と、それ以外のヤリイカの仲間である。
 イカの中でも特に高級なアオリイカは、ヤリイカの仲間だが、その名の語源は、泥障(アオリ)からきている。泥障とは、馬腹に泥がかからないよう、昔武将の乗った馬の鞍の下に敷くやや楕円形の毛布で、アオリイカの形がそれに似ていることが命名の由来らしい。
 ところで、イカを漢字であてると「烏賊」、カラスの賊と書く。はてな、カラスとイカの関係は?これについては、中国の故事にでてくる。カラスが水面に浮かんでいるイカをとらえようと舞い降りてくると、イカが突然あの吸盤をつかってカラスに吸い付き水中に引きずり込んでしまうとか。イカは死んだふりして、カラスをおびきだし、得意なフィールド(海中)でカラスを食い殺そうとする魂胆なのである。そういえば、甲イカの兇暴性については、実際に目の当たりにしたことがある。以前ふぐの延縄漁船に乗せてもらった時のことだが、水揚げされたばかりなのに、ナゴヤフグの胴体が何者かによって食いちぎられたような無残な姿をさらけだしているのに出くわした。「モン甲イカにやられたんだよ」ローラーで次々に繰られていく縄を、手際よく処理しながら、熟練の漁師さんがつぶやいた。ナゴヤフグが針にかかって動けないところを、1キロ級の大きなモン甲イカが襲い掛かって、ふぐの胴体を食いちぎって立ち去ったらしいのである。改めて自然界の生存競争の厳しさを痛感したわけだが、カラスにとっても、イカはおそるべき賊どもで、イカを烏賊とあてたわけにもうなづける。甲イカには、石灰質の甲を除けば、骨片のようなものはないが、イカの足を洗っていると、付け根に餌を噛み砕く硬い部分がある。いわゆるイカの歯、クチバシだが、「カラストンビ」と呼ばれている。カラスやトンビを食い殺すので、そんな名前がついたのかと思っていたら、その形は、背側がカラス、腹側がトンビのクチバシに似ている。命名の由来は、どうやらそこからきているようだ。この「カラストンビ」は、思わぬ高価なものを産出する。「竜涎香(りゅうぜんこう)」である。漢字で、竜のよだれの香りと書くが、竜涎香は、中国では純金と同じくらい価値がある動物性香料である。
 マルコポーロの東方見聞録には、竜涎香の記載が見られ、日本でも、古代から竜涎香をお香の材料にしていた。現在香料の原料として用いられる動物性香料は、ムスク、シベット、カストリウム、アンバーグリースの4種類であるが、ムスクは、ジャコウ鹿、シベットは、ジャコウ猫、カストリウムは、ビーバーから、そしてアンバーグリースが竜涎香のことで、マッコウクジラの胃袋から採取される。マッコウクジラがイカを食べ、イカのカラストンビだけ消化されずに胃の中に残ると、クジラの体内の分泌物がこれに結石して、灰色の大理石の模様がついた直径約20センチ程の琥珀状の塊ができる。これがクジラから排泄され海上を漂う。中国の人は、これを竜の涎(よだれ)ととらえ、竜涎香(りゅうぜんこう)と命名して珍重したのだとか。麝香(じゃこう)に似た優雅な芳香がするようだ。捕鯨が盛んであった頃にはクジラの体内に残されていたものを採取し、香料原料として利用していたようだが、商業捕鯨が全面禁止になった現在では、海上に浮いていたり海岸に打ち上げられた浮遊物のみが給源で、非常に貴重でほとんど入手不可能なものになってしまった。排出されてまもない竜涎香(りゅうぜんこう)は、カラストンビが埋め込まれた大理石のようで灰色の塊だが、長い年月をかけ海上を浮遊していると、日光、海水、空気、微生物により異臭が除かれ黄ばみがかった灰色になり、品質が向上する。とにかくイカの中にあるカラストンビが、とんでもない高価な香料を産み出すのだから、まったく驚いてしまう。
 モン甲イカは寒いこの時期に旬を迎えるが、竜涎香(りゅうぜんこう)の神秘に思いを馳せながら、このもっちりした歯ごたえと甘さを充分に堪能したいものだ。(おわり)


酒菜(さかな)への恋文  第十二回 『寒サワラの美味真髄』 濱田 毅

 1月、2月なら、一番食指が動くのは、サワラの刺身である。1キロ級の幼魚・サゴシ(狭腰)よりも、やはり3キロ級のものがいい。
 サワラは、その魚体は大きいけれどその腹が小さく狭い。それで狭腹(サハラ)と呼び、転じてサワラとなった。サワラを漢字で当てると鰆となり、歳時記では春の季語、一般的には春がその旬だと思われがちだが、脂がのって一番おいしいのは、実は産卵前の春までの時期、つまり寒サワラこそ、その美味真髄を発揮する。サワラは足が早いので、刺身にできるのは、水揚げされてから2日程が限度だが、「サワラの刺身で皿なめた」、こんな表現があるくらい、
この魚の刺身は、とろけるような食感で絶品である。脂質の成分として、IPAやDHAが多いので、血栓の予防やがんの生成抑制の働きがあるともいわれる。おいしくて身体にいいのだから、これは言うことなし。
 サワラ漁には、網漁と釣漁があるが、刺身にするなら、1本釣りのサワラに限る。釣どれのものでも、両手でサワラを運び、サワラの細長い身を折り曲げないようにしなくてはならない。サワラの身は、繊細で柔らかく割れやすいので、その扱いについては、「サワラぬ神に祟りなし」ともいわれるくらいである。
 水揚げ後は、細心の注意が払われ、大切に大切に扱われる。その点では幸せな魚だと思う。とにかくこの時期タイも見逃せないが、サワラが水揚げされると心がときめく。商売より先に、今夜の酒の肴にと思ってしまうのである。サワラを3枚におろして、片身は皮をはいで刺身にする。残りは、皮をひかずに、皮目にバーナーの火をあて、あぶり焼き刺身にする。バーナーがないときには、鉄串をさしガスの火であぶればよい。皮目に火があたると、身をよじらせ、サワラのラストダンスが始まる。まんべんなく、皮目をあぶっていく。皮に焦げ目がついても、身の中はレアーの状態である。この組み合わせが、口に入れたときに、絶妙な味わいとなって広がっていく。好みにあわせて、身の方にも、火をあて、いわゆるカツオのたたき風にして仕上げていく。ある程度あぶりが済んだら、表面の熱が中まで通らないように、すぐに氷水につけて、熱伝導をストップさせる。中骨をとり、断面を見ると、身の中は、ナマの刺身と同じ状態で艶やかな色をしている。あとは皮ごと刺身に切って 皿に盛り付ける。これを、玉ねぎのスライスといっしょに、大蒜(にんにく)を少量まぜたショウガ醤油でいただくのがいい。こうしてサワラについて綴っているだけで、生唾が出てきてしまう。
 ところで、江戸時代、八代将軍吉宗の時代に各藩の領内産物帳というものがあって、備前国備中国の産物帳には「当地では『馬鮫魚』なる魚が豊かである」と記されている。『馬鮫魚』とはサワラのことである。そのみてくれは、長馬面で鋭い歯を持ち、猛スピードで小魚を貪食する獰猛な魚から、この字が当てられたようだ。
 サメは、水中で、サンドペーパーのようなざらざらした肌を絡ませあいながら、激しい交尾を行うが、サワラの恋も情熱的である。
 サワラ漁をしていると、時々水面近くに浮かんでジャンプするモノをみかけるらしい。これはオスのサワラで、好きなメスを獲得するために、オス同士が戦っていると言うのだ。
 カップルになったサワラは、メスが浮遊性の卵を放つと、追尾しているオスが放精する。海面が泡立って魚が重なり合うように集まり、射精したシラコで海面が白く濁るほどらしい。
 我々活魚屋は、サワラを仕入れる時には、時々尾を持ちあげてみて、その硬直状態で、捕れたばかりのものかどうかを試してみることがあるが、サワラの場合には、独特のナマ臭い匂いが指にこびりつき、洗ってもなかなかとれない。これはサワラの恋の情熱が放つ粘液ではなかろうか。
 産卵期の前には、サワラのオスもメスも、身体の中から恋のフェロモンを発して、それが皮の表面まで溢れ出す。その皮を火にあぶって食すとき、身肉の味わいに微妙なアクセントとなり、「うむむ!」とうなってしまうほど、文句なしの味わいで私の舌を魅了する。
 寒サワラがその美味真髄を発揮するのは、サワラの恋の情熱もいっしょに口にするからかもしれない。(おわり)
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